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2005年10月の記事

2005年10月11日 (火)

何をもって…

勇者と呼ぶのか?

本日秋の番組改変の都合なのか、第二次世界大戦のさなかにユダヤ人にビザを発給した杉原千畝(ちうね)氏(この時日本は日独伊三国同盟を結んでおり同盟国のドイツはナチスが政権を握っていました。そしてユダヤ人に対してナチスは人種絶滅政策を取っていました。このことから杉原氏の取った行動は同盟国への敵対行為に取られてもおかしくありません。)の番組を日本テレビ系列で放送していました。

このときの杉原氏の取った行動は当時の日本国の国策に対しての命令違反ではあるのですが、人道、博愛の視点から見れば正しい行動です。
しかしながら、組織に蔵する人間が組織の規律を守らなければ組織は成り立って行きません。
(組織が個人の自由を認めれば組織は崩壊してしまうでしょう…)
ただ、状況を見て自分の良心に従い自分が今できる事を行った事がのちに評価されているのだと思います。

行動を起こす事で自分に不利な事が起こり、その結果救われる人々が居る事を予見した上でそれでもなお自分の信じた行動を取れる人間は少ないでしょう、その数少ない人間が勇気有る人間ではないのかと思いました。
(…とりあえず考えがまとまらないまま文章書くとめちゃくちゃだなあ…)

2005年10月 8日 (土)

自分の…

精神力の弱さに乾杯…
祖父が亡くなってから七日いまだに精神的にも体調的にも調子が悪いです。
普段通りに戻るにはもう少し時間がかかりそうです。
まあ、49日までには良くなるのかなあ?と思ってみたり。
今日までブログ書く気にもならなかったしね。

とりあえず、サカー日本代表は本当に大丈夫か?という試合内容…
まあカウンターを警戒しつつ2点をリードしたもの最後はパワープレイで2失点リードを守れずドロー…
中盤がボールを支配できなくなると脆さが出るのが課題かなあ?と思って見たり。
後は、引いた相手に対してどうやって点を取るかが問題ですなあ…

2005年10月 2日 (日)

本日…

祖父が亡くなった。
父母は臨終に立ち会ったが自分は立ち会っていない。
まあ、自身の諸事情からその時に立ち会えなかったのだが、何故その場に行かなかったのだろう?と後悔の念に駆られるばかりだ。

思えば祖父とちゃんと話をした覚えが無い。
いろいろ、聞くべきこと話をしておく大事な事が有ったのではないかと思うのだが今となってはもうそれもかなわない。

最後に会ったのは今年の8月まさかこんなに早く二度と会えなくなるなんて夢にも思っていなかった。
自分が生まれてからずっといたのだいつでも会えると言う事は当たり前だと思っていた。
死という物はその当たり前を簡単に奪ってしまう。
いつか誰にでも訪れる物だと頭で分かっていても心では理解できない。
今はただ悲しいという感情で心が一杯だ。

あさってで祖父とは本当のお別れになる。
今の自分が頑張れるだけ長い間祖父のそばにいたいと思う。

P.S
今月いつものように徹夜で遊ぶ予定を立てていたけど、喪(49日)が明けるまで自粛したいと思います。
本当にいつもお付き合いしていただてる方々には申し訳ありませんがご理解いただければと思います。

2005年10月 1日 (土)

東京の…

プレジデント!ワシントン!!本日トリプレッタ(ハットトリック)達成!ミラクルゴールでした!
(WCCF風に文章書いてみましたw)
という出来事が起こったのは本日のジュビロ磐田VS東京ヴェルディ1969戦

この試合後半途中までヴェルディが3-1でリードしていましたがその後立て続けにジュビロが3点を入れ逆転。
しかも、ロスタイム残り1分を切った所でジュビロのPK…なんて言うか99.99%ぐらいジュビロの勝利が決まっていた試合でした。

しかしそこから起こった出来事は中山隊長PK失敗→ジュビロ茶野のペナルティエリア前右側でのファウル→ワシントンのフリーキックによる同点ゴール…( ゚Д゚)ハァ?
この出来事で勝利を確信し、逆転優勝に望みを繋いでいたジュビロは一瞬にして地獄に叩き落されました。

ワシントンが蹴ったフリーキックは壁の右側からカーブしてゴール直前でバウンドしゴールの右隅に吸い込まれるという物、代表キーパーの川口も反応して触っていましたがセーブまでには至りませんでした。
まあ、こんな怪物が日本で見れる幸せを感じるべきなのかな?と思った試合でした。
(心臓の手術をして一時期は選手生命を危ぶまれたけどヴェルディに移籍する前はブラジルのリーグで30ゴール以上を上げた選手だからなあ…しかも、元セレソンだし…ワシントンよくヴェルディに来たよなあ…)